ブログ引越し
ブログ引越し中
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呼ばれてもいかないくせに呼ばれないと嫌なんだというのはすごく分かる。
呼ばれたんだけど断るというのが大事な流れという三谷幸喜さんの主張
には共感する。でも呼ぶ側からすると結構面倒くさい奴なんだろうなぁ。
三谷幸喜さんは本当に面白い。
ほぼ日刊イトイ新聞 駄目な僕
http://www.1101.com/mitani_koki/2008-06-09.html
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名古屋には「ドラゴンズトレイン」という車外広告、車内広告すべてが中日ドラゴンズの選手の写真や記事の地下鉄がある。今まで選手の写真や記事しか気にならなかったが、先日よく見てみると監督とコーチ一覧が掲載されている中刷りがあった。二軍監督はなんと元西武の辻さんがやっている。僕らが一番野球を見ていたころの選手だ。辻といえば名セカンドというイメージがあるけど、中日ドラゴンズの二遊間、荒木と井端をコーチしたのも辻なのだろうか。僕が知らないだけかもしれないけど、そういうことがもっと告知されればもっと別の見方や楽しみ方ができるんじゃないかなと思った。
ちなみに僕は子供のころ「阪急ブレーブス」のファンだったので、石嶺さんの名前を発見して嬉しくなった。
中日ドラゴンズ コーチ陣
http://dragons.jp/teamdata/coach/
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もともと子育てのことや子供の成長のことを書きたいと始めたブログだが、育児のことを最近あまり書いていない。子育てをしていないわけではないが、ある一定段階まできて分かりやすい違いや成長というのが以前より少なくなってきているような気がする。自分が気づいていないだけかもしれないけど。
子供がまだ2歳でも漠然と教育について考える。自分が受けてきた教育と同じような教育でよいのか?たとえば歴史で言えば年号を正確に覚えるような教育に意味があるのか?もっと自分の独自のアンテナを磨いていくような教育の方法がないのか?など。
みんな同じ教科書で同じスピードで同じようにみんなが学ぶことがよいのかどうか?とか。
子供が自分で自分の教科書を作るようなことができないか。とか。
ベースの教科書を基にして自分のアンテナを元にして教科書と教科書の間を創造する感じができないのか。とか。
そんなことをよく考える。
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「男女7人夏物語」や「金曜日の妻たちへ」の脚本を書いた鎌田敏夫の本は文庫化されたものを今でも大事に本棚に持っている。鎌田敏夫作品は登場人物がみんな魅力的なところがいい。どの作品も好きだが、特に「男女7人夏物語」と「クロスロード」がいい。どっちも小説に川と橋が出てくるところが好きだ。「男女7人夏物語」は主人公の良介と桃子が隅田川を隔てたところに住んでいて橋の上で話をするシーンがよく出てくる。「クロスロード」は高校の同級生が卒業したあと6年目の夏以降10年間毎年故郷の思い出の橋で1年に1度会う話だ。川と橋というのはなんともいえない懐かしさや感情を思い出させるものだと思うのだ。
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先週久々呑みに行った。普段はあまり呑みに行かないし、家でも呑まない。酒がそんなに呑めないから呑まないだけだけど、呑みに行くのは嫌いではない。ただ呑みに行くときは「さし」で呑みに行くほうが好きだ。なぜかというと大勢で呑みにいくと本音の話が話できにくいから。2人だと絶対に対話をすることになるし、相手が何を考えているのか、この人はこういう人だったのかという発見があるし、自分と相手の同じところと違うところを発見できるし、自分で自分の話していることを「発見」することができることが好きだ。つまり「語る呑み」が好きである。「考える呑み」というのか。なので安い酒場で呑む方が盛り上がる。今回もカラオケに行くはずだったのに3時間も店に長居してカラオケにいけずじまいであった。面白かったから良いんだけど。
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ここ1ヶ月ほどやることがあり、ブログを書いていなかった。その間、子供が2歳になったり、初めて潮干狩りにいったりした。また昔は花見をわざわざしようと思わなかったが、花見を楽しんでいる。そして桜並木の近くに住んで本当によかったと思っている。少しずつ年をとり、感性が変わっているのがわかる。ケーキとコーヒーより羊羹とお茶が最近のお気に入りだ。
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自分と向き合う一番よい方法は「鏡」を見続けること(そして自問自答し続けること)なのかなぁ。とぼんやり考えていたら、「不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか」(講談社現代新書)でサーバーエージェント社の取り組みを読んだ(P110)。トイレの鏡にミッションステートメントが映る仕掛けだ。自分が鏡を見る場合には質問が書いてあると効果が大きそうだな。何かを考えざるをえないから。
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「80年代の曲しか歌ってはいけないカラオケ」とか「歌謡曲しか歌ってはいけないカラオケ」とかそんなカラオケをしてみたいと前々から思っていた。なつかしい曲ばっかりのカラオケだ。仕事場の客先で好きな音楽の趣味(懐メロ関連)が妙に合いそうな人を発見したので、近々に実現したい。
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最近気になる言葉は「モヤモヤ」である。肯定的な意味で「モヤモヤ」が気になる。「モヤモヤ」しているとその後の脳の動きとしてその「モヤモヤ」が何なのか解明する動きになる気がするのだ。その時点ではそれが何かわからないが、その後その「モヤモヤ」がなんだったのか?分かるときもある。それ本当に当たり前のことなのか?「モヤモヤ」→何だろう、この「モヤモヤ」は?っていうことになる。その「モヤモヤ」の中に自分の気にかかる何かがあるような気がするのである。
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ついさっきまで本を読んでいて頭がぼーっとしていたのだが、ブログを書き始めたら脳の中が回転し始めたのか脳がむっくり起き上がってきて眠くなくなった。ブログを書こうとするとパソコンの画面を見ながらいろんなことを考えざるをえず、そうすると眠気がふっとんで脳が目覚める感じがある。こうなると今度眠れなくなるのだ。
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家で食事をするときにメニューの中身についてよく妻に聞くようになった。特に料理の味付けについて聞く。自分ではほとんど作らないけど、作る場合どんな味付けをしたらよいのかを考えながら聞いている。今日は「そういえばマヨネーズって何で出来ているか」を聞いたが、逆に「3つのもので出来ている、さあなんだ?」と質問された。少し考えて「卵、酢、油」と答えることが出来てなぜか非常に嬉しかった。なぜこんなことを考えるのかと考えてみると、ものを分解して考えるくせが以前より強くなってきてこれはどうやってできているんだろう?何でできているんだろう?と考えることが多くなったからだと思う。
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ブログを書いていて後で見直すときに、自分で作る新規カテゴリというのがすごく重要なんではないかと思った。世の中に用意されているカテゴリに収まらない自分で定義したカテゴリこそ自分を発見できるキーワードなのではないかなと、思うのだ。どこかの段階で整理しようっと。
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日記を初めて書いたのは小学校3年生のときだったと思う。先生に言われて書いた。結構続いていた。どんなことを書いたのかはまったく覚えていないし、その日記も残っていない。今の小学生や中学生は「ブログでいいから書きなさい」とか言われているのかな、ひょっとして。でも非公開の日記と公開のブログじゃ書くことが違うな。
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題名を変更するときに考えたことは自分のブログスペースを何に見立てるかを考えていた。
島に見立てるか、それとも村?Bar?Cafe?会社?研究所?
たとえば村であれば、特産品(自分の得意なこと)をどう定義して育てていくか。
ってなことをふとんの中でいろいろと考えていたら眠れなくなってしまってさらにいろいろと考えた挙句結局今のブログ名にしたのです。
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「パパログ」から「南の島のcafeで考えごと」に変更した。テンプレートも変更。「パパログ」は他にもあるし、日常とは別の視点でものを考える設定にしたかったため変更した。もう少し別のアイデアもあり、今後また変えるかもしれないな。
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結婚している人は配偶者を妻と呼ぶのか嫁と呼ぶのか奥さんと呼ぶのか名前で呼ぶのかなど何度も迷ったことはないだろうか?解決方法としてはTPOに応じて自分の使う言葉を統一してしまえばよいのだろうと思うけど、それでも選ぶ言葉に対して伝わり方だいぶ違ってくることがある。日本語は同じ意味でも立場や状況が違ったときに選ぶ言葉が多すぎるように感じる。文化的には「深い」のだろうけど、忙しい場合などはコミュニケーションのコストがかかりすぎる時が多いように感じる。コミュニケーションのコストとは伝えたいことを伝えるときの考える時間ときちんとニュアンスが伝わるまでの時間という意味です。世代間の考え方や考え方の多様化の際にひとつの意味に対しての言葉が多すぎると伝わりにくいことが出てくるなと思う時が昔より増えてきたのである。
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TVCMは昔から好きで小学校のころTVCMのCMソングばっかり歌っていてCMから「あだ名」がついたことがあるくらいだ。それはさておき昔からTVCMに関して不思議に思っていたことがある。あれは「本当に伝わっているのか?」ということだ。CMを知ってはいるけれど伝えたいことが伝わって買いたい人が買っているのか?ということがどうも「もやもや」しているなと思う。つまりビールでもCMは好きだけど買うには至らないということがよくあり、どうも効率が悪いなあと思うことがある。その辺はweb広告は広告という点では進化をしていると思う。
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まだブログを続けるコツは習得していないんだけど、コツについてなんとなく考えていることが出てきた。以前はとくかくブログを始めてみようと思って、始めてみて今は次の段階に来ている。ほぼ毎日ブログを更新したいという段階だ。一日一個くらいは何か気付くことがあるだろう。ブログは自分の考えを言語化(明確化)するのに役に立つと思う。ブログは考えていると書けない。その時点で思っているとこや考えていることをまず書いてしまう。書くことによって次の思考や考えがまた出てくる。その繰り返しのように思うのでまずその時点での言語化が必要と思って書く。そうすると少し考えがまとまる。そんなことの繰り返しをまずやりたいな。また次の段階としては「つながる」書き方や「つながる」志向の掘り下げを考えていくことが必要と思っている。これはあくまで「自分にとって」ブログが何かということです。
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齋藤孝さんと梅田望夫さん対談しています。
2人の本は結構読むのですが、対談しているとは知らなかった。
これは読まないと。
http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/saitou_umeda/index.html
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サントリーの発泡酒「金麦」のCMが好きだ。きれいな嫁さんがビール冷やしてダンナの帰りを首を長くして待っているという設定のCMだ。まああんまりありえない感じの設定のCMです。それが非常によいんだと思いますが。以前仕事場でこのCMを知っているか聞いてみたらみんな知らなかった。なんでこんないいCMが気にならないのだろう。ただCMは好きなんだけど、買ってみたらおいしいと思わなかった。もともと酒はそんなに飲まないし、ビールの味は分かるほうではないから自分の評価はあてにならないけど。ビールはイメージで買って飲んでいる。そんで一番好きなビール(イメージ)はアサヒスーパードライです。松坂とか松井が出るのもいいけど、野茂にでほしいな。
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川のある風景が好きだと改めて気付いたのが一番最近の引越しの時だった。今住んでいるところの目の前に川がある。南向きの窓から川が流れているのが見える。それが一発で気に入って今のところに住んでいる。そういえばなぜか今まで住んでいたところも一箇所を除いては川が近くにあった。オートバイで走るときも海沿いを走るより川沿いを走るほうが好きだ。今まで走っていて一番気持ちがよかったのは四国の四万十川沿いだった。川と線路と道路が蛇行している。そういう道を時速70-80キロくらいで単気筒で走るのが最高だ。
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現在パパログという名前でブログを書いているんだけど、パパとして子供のことを書くより他の事を書くことの方が多くなってきた。別に子供と接してないわけではなく毎日接しているんだが、他にも書きたいこと(思うこと)も多い。整理するためにアウトプットして考えたいこともある。そのためそろそろブログの題名も変えたほうがよいかなぁと考え中だ。
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昔友人とガード下の立ち飲み屋でカッコイイ大人の定義ってなんだ?って話をしたことがある。話の内容は忘れてしまったんだけれど、最近もそのことが気になっていてどんな大人をカッコイイ大人というのだろうかと考えていた。ここ最近の定義では「松方弘樹」が自分の中でカッコイイ大人のイメージなんだ。どういうことかというと松方弘樹がTVに出ていて釣りの話をしているときに本当に本当に楽しそうに熱く語っているのを見てそう思った。人がそのことをどう思おうが自分にとって夢中になれる事を熱く語れる、熱く語る対象がある大人はカッコイイなぁと思ったわけです。
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村上春樹さんは近著「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋)の中で「僕は書きながらものを考える。考えたことを文書にするのではなく、文章を作りながらものを考える。」と書いている。これは非常に共感できる。僕は頭の中だけで考えるという行為が苦手だ。自分の場合も書いて進んでいったほうが自分が考えたかったことが明らかになっていく感じがする。考えたことが先にあるということではなく書いているうちに出てくる感じだ。
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書くことはそんなに嫌いではない。その証拠にブログの記事が約2ヶ月で30本になった。多くもないかもしれないけど、少なくはないだろう。量が質に転換するだろうと思い、まずは量を書くことを主眼においている。それに志向性をもっと見出したいということでとにかくアウトプットをすることにしている。量を書くということで言えば昔高校の時日直がその日の日誌を書くことになっていたのだが、クラスの中で日誌を書く量だけは1,2番を争っていた記憶がある。今思えばくだらないことではあるけれど。
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最近よく考えるのは子供の教育のことだ。フィンランド式教育とかインド式数学とか。つまり「自分で考える力」をつけるにはどんな方法を教えるのがよいのかということだ。Googleのおかげでただ知っているだけの詰め込み教育はなんの役にも立たなくなった。知らないことは調べればよいだけだからだ。何を知っていて何を知らなくてということがわかっていて、知っていることを組み合わせたり、何を知れば自分の行きたい方向にたどり着けるのかを分かること、そんなことが重要なんじゃないかと思うわけだ。そういうことは家庭である程度教えることができないといけないだろうな。教えるという言葉はおかしいかもしれない。考える力を「はぐぐむ」とか「育てる」という意味に近い。
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最近テレビを見る時間が減ってきた。家族で過ごす時間はなんとなくTVをつけているが、家族が寝てから自分が起きているときはTVはほとんど見ない。パソコン、読書、その他の時間が多くなった。TVを見なくなった理由は考えてみるといくつかある。「無駄」な時間と感じるようになったから。何も生産性がないように思うから。思考停止におちいるから。そんな理由だ。食事の時間はテレビを消すし。ただ教育テレビを見る時間は増えたかもしれない。NHKや教育テレビは昔より実験的要素の強い番組が多くなったように思う。一期一会 とか面白い企画だ。
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